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地図展2018 by千代田区役所 [遠出]

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                   1878年〜(明治10年代) 陸軍参謀本部 五千分の一東京図即測量原図


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     明治 150 年記念 第 51 回地図展 地図展2018 地図に映る明治の日本
         《会 期》  2018年 11月1日(木) 〜7日(水) 10:00〜11:00
         《会 場》  千代田区役所1階 区民ホール
          主 催   地図展推進協議会

       ひと月振りのおのぼりさん、トボトボと「九段第3合同庁舎」を訪ねました
       隣りの「第2合同庁舎」には、国土地理院がありますが、立寄るのを忘れました


   地図展は、この「地図中心・通巻553号」の編集に沿って展示が構成されている感じとなります
    (「地図中心」 一般財団法人日本地図センターが、毎月10日に発行しております)
        興味が生じた方は、一冊いかがでしょうか…. (一冊 : 800円+税 です)
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 東京メトロ東西線 九段下駅に下車しました(南北線後楽園駅からやってきました)
 (後楽園駅は、文京シビックセンター、展望を楽しみました、そのことは次週の記事とさせてください)

 九段下の交差点、左右に横切る「靖国通り」大きな傾斜 左に坂を登ると「神社」右に行くと「本の街」
  今日の目的地、千代田区役所へは、手前側「竹橋」方面へ向かいます
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 白亜のビルが3棟並ぶ「九段合同庁舎」、千代田区役所は、一番左(手前側)の第三庁舎です
  国土交通省 国土地理院 関東地方測量部は、真ん中の第二庁舎にあります(3年前、1度訪ねました)
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千代田区役所1階区民ホール「地 図 展」会場
 このシャッターを押したと同時に警備員さんがすっ飛んできました 「館内、撮影禁止で〜す!!」
 受付の方に「地図展の中は、どうぞ写真を撮ってください」と云われながら、パンフレットをいただきました
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 パンフレットの中の大きな地図(縮尺 1:9,000)1枚  大拡大してくれております(いいですネェ〜
  「千代田区とその周辺 現代・明治」 (地図展推進協議会)
  左に「現代」2017年(平成29年)5月〜8月 国土交通省国土地理院撮影 空中写真(CKT-2017-6 東京地区)
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 右は「明治」1878年〜(明治10年代) 陸軍参謀本部 五千分の一東京図即測量原図(国土交通省国土地理院所蔵)
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 両地図の右下部分は、あの「築地付近」です
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(話しは、少しそれますが...)ネットで、こんな、おもしろい地図を発見しました(田代先生Twitterより)
 五千分一東京図測量原図 1883(明治16)年~ 1884(明治17)年頃の東京の様子を伝える貴重な地図
 歴史的農業環境閲覧システム(出典: 農研機構 (https://www.finds.jp/mapprv/mapext.html.ja))提供
  以下、HPの説明文です  (六浦川の記事でも紹介しました)
   歴史的農業環境閲覧システムへようこそ
   このページでは、明治初期から中期にかけて関東地方を対象に作成された「迅速測図」と
   現在の道路(赤線)、河川(水色線)、鉄道(灰色)、土地利用図とを比較することにより
   農村を取り巻く環境の歴史的な変化が閲覧できます

先月 83年の歴史を閉じた「築地」付近を切り取って比較してみました
  左上に、明治5年(1872年)に開業した新橋 - 横浜間の鉄道の新橋停車場があります
  築地の場所は、海軍省管轄、大きな入り海がみえます 晴海通りは掘割?です 現月島は全く影も無し
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        出典: 農研機構 (https://www.finds.jp/mapprv/mapext.html.ja)  (関東平野迅速測図)

 新橋停車場の構内が、詳しく描かれています 現 ∴旧浜離宮庭園は、バラバラな感じ 現月島は、砂州?
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                                 (上図と同様、農研機構のHPから)

 関東平野迅速測図の現在地図 (青字で現地名が記入されています)
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                                 (上図と同様、農研機構のHPから)



 現在の国土地理院の地図 築地市場、勝鬨橋、首都高速、月島(勝どき)etc.が描かれております
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                                         (国土地理院より)

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 11月4日、環状2号線、築地〜豊洲間 2.8kmが暫定開通しましたネ         (GoogleMapより)

    築地大橋、いまのGoogleMapで見ると、こんな感じです(まだ渡るに渡れない!!)
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こちらも、受付でいただいたパンフレット(縮尺 1:12,500)の1枚です
 地図展開催記念「千代田区とその周辺 明治の遺構」(地図展推進協議会)
 遺構が20ヶ所紹介されております (日本水準原点、日本経緯度原点、樺太国境画定標石(レプリカ)etc.)
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 最初の「 陸軍参謀本部 五千分の一東京図即測量原図」似ておりますが....
  こちらでは「皇居」と現在の「赤坂御用地?」付近が、白紙状態となっております
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ここから「地形図誕生」(清水靖夫 氏) 「地図中心」では、18頁に亘って掲載されております
 「地図中心」の表紙です 「大日本国全図」明治11(1878)年発行、内務省地理局地誌課 作成
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 輯製二十万分一図「東 京」 明治21年輯製製版 参謀本部陸軍部測量局
   (しゅうせいにじゅうまんぶんのいちず) (西側の山地が、すごく強調されているように思えます)
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 輯製20万分1図とは...  世界大百科事典内の《輯製20万分1図》の言及によると....
 …〈伊能図〉は内陸各地の状況は必ずしも詳しくなかったので,この絵図はその地方版としての役割と考えられた。明治になり陸軍陸地測量部はこの2種の図を基礎として《輯製20万分1図》を作成し広く利用した 忠敬以後,武田簡吾は《輿地(よち)航海図》を作成し,また勝海舟が《大日本沿海略図》を,佐藤政養が《大日本精図》を編集している…


 二十万分一帝国図「東 京」 第18行第24段 大日本帝国陸地測量部
   備考欄には、本図は明治36年より同42年に至る間の本部の測図を縮図せるものに係る
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「麹 町 区」 二万分一之尺 陸地測量部
   明治十三年測量 同十九年製版 同二十年八月二十六日出版 同二十三年再版
   隅田川の河口には「石川嶋」「佃嶋」その先「月島」付近は、まだ砂州?、さらに南に「第七砲台」
   この時代?でも、街の中心は、建物がビッシリと詰まっている様子です
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「東京西南部」 五万分一之尺 大日本帝国陸地測量部  明治四十五年縮図 同年部分修正
   都県境の多摩川が左上から右下に斜めに流れています 蛇行して流れる鶴見川も見てとれます
    大変、余計なことですが、右下方向に、田んぼに囲まれた自分の生地があります
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「四 谷」 一万分一之尺 日本帝国陸地測量部 明治四十二年測図   定價金七銭五厘
   明治四十三年三月二十五日印刷 同三月三十日発行 著作権所有 印刷兼発行者 陸地測量部
   赤坂離宮、士官学校、青山練兵所、靖国神社、新宿御苑、新宿駅、角筈、中央東線 etc. が読みとれます
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 英国海図をめざした明治初期の日本海図  (今井健三 氏)
    海図第九番 「武蔵國東京海湾図」 明治六年、海軍水路寮 刊行
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 明治5(1872)年の測量、東京港を描いた最初の海図 この辺りは品海、品川湾と呼ばれていたが海図の表題は、東京海湾図と立派な名称が付され、読みも TOKEI BAY と京都に対する江戸っ子の気概が伺われる
    台場の形・品川から多摩川(玉川)沿岸・海を通る新橋〜横濱間の鉄道 etc.も描かれております



  海図 39 号 「武蔵國横浜湾」  明治7年、海軍水路寮 刊行
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 明治6(1873)年の測量で横濱港を描いた最初の海図 明治初期横濱港の原風景が描かれている 市街中央に突堤が構築され、(割愛)外国人居留地を囲む水路の橋の名称や新橋〜横濱間の鉄道最終駅「横濱ステーション」の注記も興味深い



   海図第211号「金華山至津軽海峡」
    明治21年3月 海軍水路部 刊行(明治34年大改正の版)
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 展示品の解説には(一部)....  金華山から津軽海峡を経由して函館に至る沿岸を航行するための沿岸航海用の海図で、大縮尺の港湾図や海岸図など10図以上の海図を編集、総合した海図でメルカトル図法を展開し高度な編集技術によって作成された海図である




 「築地居留地略図」  出典 : 川崎房五郎「都市紀要4 築地居留地」(東京都、1950)
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  「地図中心」(谷口 栄 氏)の解説の抜粋では....
 築地外国人居留地は、現在の東京都中央区にあり、競貸地区は中央区明石町に相当し、相対借地は競貸地区の北と南に広がり、北側は中央区湊町1〜3丁目、入船1〜3丁目辺り、南側は、中央区築地5・6丁目に該当する  開港場の長崎や横浜とは異なり、築地外国人居留地は開市場であり、規模も小さく、外国人の数も多くなかった





「新橋横濱之間鉄道之図」 (英里十七里七十一 チヱエン五十五リンク)← ここ怪しいのです
 ググってみると.... 
  国立公文書館デジタルアーカイブ → 重要文化財(公文書)→ 絵図等(公文附属の図より)→ 鉄道路線図 
   で、この絵が出てきました   (横に大きいので2枚の画像に分けて撮りました) 
   会場で、右横に展示されていた「東京高崎間鉄道線路図」も収録されていました

 右側は、新橋ステーションから六郷川まで(駅でなくステーション)  原図は、東西193.2×南北38.6cm
  高輪海岸を過ぎると「品川ステーション」 次は、六郷川を渡って「川崎ステーション」です
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  左側は、六郷川から横濱ステーションまで(鶴見にもステーションがみえます)
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  (途中、線路上に◯印が打ってあります 気になります、なんの印でしょうか....)

 上図左側の左部分を大きく撮りました....
  「横濱停車場」付近、横濱ステーションと書かれています 新橋側の一つ目のステーションは「神奈川」
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 以下、公文書館の解説文を紹介します
 明治5(1872)年5月の品川横浜間仮開業にはじまり、鉄道網は、産業の発展と深くかかわりながら、整備されていきます 明治5年の我が国最初の鉄道開設に際して作成されたと推定される、新橋横浜間の鉄道路線図です 明治5年5月7日、品川・横浜(現在の桜木町)間に我が国はじめての鉄道が仮開業され、次いで工事が遅れていた新橋・品川間も同年7月25日に路線敷設が完了し、9月12日に新橋・横浜間の鉄道が本開業されました 同駅間は当時29キロメートル、所要時間は、ノンストップで53分でした この図面は新橋、横浜間の鉄道路線図です




「明治期の鉄道路線図」 (全国鉄道汽車便覧)
  ググってみると「もりおか歴史文化館」では、「鉄道線路略図」として紹介されていたようです
   現在の鉄道路線図、JR東日本の「路線ネットワーク」は、こちらにありますヨ!!
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 明治27(1894)年に発行された、鉄道時刻表内に掲載された鉄道路線図である 駅の並び順を示すことが第一目的であるため、縮尺や位置関係が正確でないのは、現在の路線図と同様である
 この版は同年4月のもので、本州内の西の端は広島県の三原駅(図中左上)となっている、三原から先、広島方面への延伸はこの2ヶ月後(同年6月)であった
 札幌や博多(福岡)を中心とした鉄道網は、図の右側にまとめて掲載されている




「頭書大全世界國盡」 明治2年 福沢諭吉 著 慶応義塾 出版
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 Wiki.によると.... 
 『世界国尽』(せかいくにづくし)は、福澤諭吉の著書のひとつ 正式名称は、『世界國盡』  1869年(明治2年)の初冬に発行された世界地理の入門書である 地理以外に、その国の歴史を説明している箇所もある




   文豪・森鴎外が遺した明治の地図 (倉本幸弘 氏)
     「東 京 方 眼 図」   明治四十二年六月 森 林太郎 立案
       東京市日本橋区通四丁目角 春 陽 堂 発行
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「明治期の民間市街図のあれこれ」 の1枚を....
  「東 京(とうけい)全図」 明治33年1月3日再版印刷、同年同月10日発行
  「地図中心」のなか、持ち主(今尾恵介 氏)の解説を抜粋してみると....
 私が持っている中で最古かつ唯一の19世紀の市街図だが、とにかく表面の地図の内容は盛り沢山で、同36年に 遅まきながら市内電車が走る以前だから、市内に描かれた線路はすべて馬車鉄道のもの
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会場奥床面に大きな地図が横たわっておりました そのうえに、重なる人も....
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 「地 形 図 誕 生」 (官板実測日本地図)「地図中心」(清水靖夫 氏)の解説の抜粋です
 伊能図(大日本沿海興地全図)の小図(縮尺 1:432,000)を木版により印刷した日本地図 北海道、樺太は間宮林蔵の測量図を利用し、4面からなる 幕末の慶応3(1867)年、幕府開成所で作成、明治3(1870)年、大学南校で再版された 従来の地図と異なる点は、京都(三条改歴所)を基準の子午線(中度)とし経線・緯線が描かれていることである


何ヶ所か、大きく撮ってきました
 ここには、赤城山と日光の山が... 野州山、中禅寺山、日光山、そして高原峠、右下には、那須山
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 ここでは、飛騨山地?周辺、木曽の御嶽さんが大きく、左上に、白山、右上には、立山
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 左に伊那谷が、上には八ヶ岳、右には巨摩郡、と云うことは、真ん中は、甲斐駒でしょうか....
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 その頃の日本の中心?、摂津・山城?・河内・伊賀・伊勢・近江 etc. が所狭しと描かれております
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 広大な北海道、地名でなく、川や沢の名前が、ビッシリ記入されているようです
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 最後は、我が家付近、久良岐郡、鎌倉郡、三浦郡が見えます 六浦は、少し青っぽく見えます
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 会場滞在、70分 楽しめましたヨォ〜  来年は、何が「テーマ」になるのでしょうか....
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    地図展の概要です
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    九段第3合同庁舎は、大隈重信候帷子橋邸の跡地だそうです(帷子橋が気になりました)
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 今日の大テーマ「地図中心」を購入するために、トボトボと隣りの神保町交差点まで歩きました
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「書泉グランデ」がある神保町、いま「神田古本まつり」の真っ最中でした
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           神保町駅で三田線を利用、三田駅、泉岳寺駅で乗換え、2100形で金沢文庫に戻りました
                (地下3階の三田線神保町駅ホームが、すご〜く遠かったです)

                ***** 長々とお付き合いありがとうございます *****






                       本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます


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